k西ろぐ

ゲーセン通いの日々、うつ病との付き合い、教育、そして酒と漫画とetc

かみへのはんぎゃく

 人類史を辿っていくと。人類は土地を求めて争い、負けたものが逃げて人間の領土を拡大し、そして農耕を始めた、それを追い騎馬の民族が農耕民を支配し国を作り、一部は逃げ、一部は支配された、そしてまた・・・。基本的には支配とそこから逃れるものによる拡張の連続によって広がっていて(拡張された勢力が拡大し支配し返すこともある)、それは今もなお領土とは別のもの、それは資本や情報や資源、人、それぞれのものについて支配と拡張を続けている。

 僕にはまるでこれが海に飛び込むレミングの群れのように見えて(実際にレミング集団自殺したりしないが)しかたなかった、まるで人類は自ら進んで地球の滅亡と人類を争いの方向へと導いてしまっているのではないか?とずっと考えていた。

 しかし、支配と拡張の拡張の側から考えてみた、つまりこの地球の外に出るという事だ。そうするとまるで見方は変わってくる。まるで人類は「地球の外に出ることを目的」にしていたかのように振舞っているように見える。まるで初めから人類が星々を転々と移動しながら確実にその遺伝子を残すようにデザインされているかのように。

 とはいえ宇宙に行くのは容易な話では無い、今の価値観からする平和、つまり良く管理された社会から脱出するときにきっと初めて人類は宇宙に住処を変えるのかもしれない。一見する平和とは、自由とは対称的なものであり自由の本質は混沌にあるからだ。

 しかしへそまがりな僕はそれがもし神(次元の高そうな)によってデザインされたものであるならば徹底して抗いたくなる、人類は今こそ進化をやめて地球とともに終焉を迎えるべきだと思う。支配と拡張、何かを手に入れ続けることが人間の証明であるならば、まさに今人間は人間を止めるときに時に差し掛かっているのだ、それこそが神からの支配から逃れる唯一の方法なのだから。