k西ろぐ

ゲーセン通いの日々、うつ病との付き合い、教育、そして酒と漫画とetc

所有の哲学

他者を所有するとは

所有する、支配する、コントロールする、殺す、勝利する、マウントを取る、教える、愛する、管理する・・・。自分の空間に他者を入れてしまうこと。

他者に所有されるとは

所有される、支配される、コントロールされる、殺される、敗北する、マウントを取られる、教わる、愛される、管理される・・・。他者の空間に自分が入れられること。

 

社会とは所有ゲームである。

教育、結婚、恋愛、経済、戦争、差別、医療、すべての社会システムは所有ゲームであり、所有する側と所有される側に分かれる。資本家は所有する側であり労働者は所有される側、教師は所有する側であり生徒は所有される側、家父長制における結婚において男性は所有する側であり女性は所有される側、医者は所有する側であり患者は所有される側。この所有権を争うために競争が起き、この立場が逆転するときに闘争が起きるし、所有する側は必死にその所有権を守ろうとする。

 だから受験は競争であるし、恋愛も競争、経済も競争。資本家と労働者の立場が入れ替われば革命であり、男性と女性の立場が入れ替わろうとすれば男性はその立場を必死に守ろうとするわけである。戦争も当然そのような所有ゲームの帰結(戦争の場合本当に国民自体が所有されてしまう)である。詳しくはそれぞれの戦争の歴史を紐解いてもらいたい。

 そして所有されれば、所有し返す、その繰り返しをしているのが社会であり、それを抑え込めるのか、はたまた抑え込めずに所有されてしまうのか。というのが所有ゲームの原動力となってる。この所有し返したいとう欲求こそが「ルサンチマン」である。

 「ルサンチマン」は必ず所有された対象に向かうわけではなく別の対象に向かう。例えばA→BとAがBを所有した場合、BがAを所有し返そうとする場合もあるがBはB→Cという形でCを所有しようとするという形で所有の欲求が働く。これが「ルサンチマン」であり、社会の原動力となっている。

 例えば「中学校で勉強ができない子Bがゲームセンターに行く」という例では他の生徒Aに勉強で敗北する(所有される)ことによって所有したいという欲求が沸き、ゲームセンターでCに対して勝利に向かうという形になる。これが達成できない場合、カツアゲや暴力などの違う形で所有が果たされる場合もある。

 もう少し大きな話を言えば、資本家の支配(所有する)に対する労働者(所有される)のルサンチマンが革命という形で労働者を支配する側(立場が逆転しただけで何も変わらなかった)に逆転させたのが国家資本主義国(ソ連や中国)であるが、それを抑え込もうとするのがアメリカであったというのが冷戦という構造であると言える。(今も続いている)

 

誰が真の所有者か

しかしこの所有ゲームの真の所有者はだれであろうか?

私の個人的な例で話そう。

受験戦争で勝利した(所有する)になった私は、大学で勉強やスポーツで負け(所有される)。しかし、なぜ私は受験で所有する側を目指したのか?

それは母が私を管理、教育(所有する)したから。しかしなぜ母は管理、教育をせざるを得なかったのか。

それは父が母を専業主婦(女)として家に閉じ込めたから(所有する)から。なぜ父は母を専業主婦として閉じ込めたのか?

それは父が企業内部で競争にさらされ、勝つため(所有する)に必要だったから。

なぜ企業は父を競争させたのか、それは企業が他企業に勝つため(所有する)

他企業との競争は何をもたらすのか、それは日本の発展(主に納税)つまり、企業は国が所有している。

なぜ日本は発展しなければいけないのか、それは第2次大戦の敗戦(所有される)から立ち上がって勝利するため(所有する)、主にアメリカに。ルサンチマンである。

アメリカは一体、何のために所有するのか?資本主義とは一体?

 

マックス・ヴェーバーによれば禁断資本主義の精神的支柱とは、カルヴァニズムと世俗内禁欲主義

つまり「神のためにあなたがたが労働し、富裕になることはよいことなのだ」の実践である。つまり、なぜ勝利するのか(所有する)、神のためである。

つまり我々は神、この神とはヤハウェの神である。キリストが復活した際に「主は彼を護りてその生命を保たん」(詩篇41: 2、聖詠40: 3)の「主」だ。ヘブライ人に十戒を与えたあのヤハウェの神だ。そしてアッラーでもある。

 

なるほど、この神こそが人を「所有する」ことへとかきたてる存在なのか、などと考えてはいけない。もう少し踏み込んで考えてみよう。

なぜヘブライ人はヤハウェの神を創造する必要があったのか。それはエジプト人に支配(所有する)されていたからだ。ルサンチマンである。だからユダヤ人を憎んでもいけないし迫害(所有する)してもいけない。代わりにユダヤ人は所有することをやめなくてはいけない。それが平和へのカギである。

エジプト人はなぜヘブライ人を奴隷にしたのか・・・などと考え続けるとこれは人類がなぜ人を支配し続けたのかという永遠の問題になるが、おそらく原点は

人が生まれた後に人に育てられた(所有された)ことによるものだと考えられる。つまり人が生きていく限り所有するという欲求はほとんど本能的なもの(本能では無い)と考えられる。実際に1歳後半や2歳児などの行動を観察するともうすでにモノを所有する欲求があることが観察できるし(ライナスの毛布)、特に母への執着があることが分かる。母に育てられる(所有される)ことが母を所有することへの欲求へとつながっていると考えられる。エビデンスは無い。脳科学へ任せたい。

 

であれば所有ゲームは必然か?答えはNOである。我々は人間である。親熊に育てられ、そしてモノに執着するようになった羆と同様な動物では無いのである。

 

脱所有ゲームと新しい社会の構築

現在世界及び社会の所有ゲームを動かしているのは神だといったが、実際には信仰はすたれてしまったし、また革命によって成り代わったのが国家資本主義であった。つまり実際に今所有ゲームを動かしているのは国家である。なのでこの所有ゲームを解体させるのに必要なのは2つ、国家の解体と神の解体である。つまり無政府主義無神論だ。

無神論、ただし、多神教のような対等な神、所有しない神、アイヌにとってのカムイのような存在はそれほど問題ではない。問題なのは父として君臨する一神教の神だ。これを解体する。方法としては、まさに無神論者となるか、先ほどの多神教者として生きるかの2択である。

 

次に国家の解体である、国家を解体して本当に存続可能な社会が作れるのか?と疑問に思う方もおられるだろうが、今現在の社会が当たり前すぎて想像できないだけで作れるとだけ言っておきたいと思う。ヒントは無政府組合主義(アナルコ・サンディカリズムつまり、個人の連帯で連合をつくり、連合が連帯して大きな連合ができる(所有ではない対等な関係である)。それによって社会や世界が構成されていき、諸問題を解決していくという「生き方」である。ただし、これはおそらく日本だけで行われてもすぐにアメリカの介入によってすぐに資本主義社会に戻されてしまうか、中国の介入が入って戦場になるだけだろう。必要なのはアメリカ、ロシア、中国、EUなどの大国、そしてそれらに付随している国家たちが無政府化していくということが必要なのである。なのでそのような運動はまず大国で行われるべきだと考えられる。

無政府組合主義に関してはこれを読んだ人が詳しく勉強してみてほしい。

 

 

所有の哲学の応用 うつ病

うつ病の原因(ストレスの原因)

 

  1 自己の所有から他者が離れていくこと

 男にとっての離婚、部下が言うことを聞かない、子どもの独立、男にとっての妻(母親)との死別、大切にしていたものを勝手に捨てられる、夫にとっての妻をコントロールできないこと、教師にとって生徒の言うことを聞かせられない、会社からの解雇・・・etc

 2 他者に自己が所有されること

  いじめ、理不尽なクレーム、厳しい上司、お受験ママ、家庭の中で妻のほうが立場が上な夫、年下に馬鹿にされる中年、家父長制において女性にとっての結婚、家父長制において女性にとっての性行為、健康診断に行くこと(医者に自分を管理されること)・・・etc

 

これらは複合して起きる。例えば教師にとっては現場で生徒の言うことを聞かせられない(自己の所有から他者が離れていく)ということと、保護者からああしてほしいこうしてほしいというクレームが入る(他者に自己が所有される)ということが同時に起きるためストレスが大きくなる。

 

うつ病になりやすい人の類型

ここで強調しておきたいのだが、本当は類型など無い。所有したいという欲求が強ければ強いほどうつ病になりやすいというだけの話である。なぜ所有したいという欲求がつよいのかということを考えればいいだけの話である。

 1 ルサンチマン

  幼少期にいじめ、あるいは厳しい母、父などにやり込められた経験があることから、所有しなければならない、例としては勝たなければならない、完璧にこなさなければならないなどのMUST思考へと変化してしまったタイプである。つまりルサンチマンから所有したいという欲求があまりに強すぎてMUSTになってしまったタイプである。

 2 もたざる者型

  幼少期から、何一つ成功体験が無いタイプ。つまり所有の経験がないために、何かを所有したいという欲求に強く駆られるタイプである。成功体験がないために自分が馬鹿にされているのではというルサンチマンを創造してしまう場合さえある。上記と同じようにその所有したいという欲求は、所有しなければならないというMUST思考へと変化してしまう。

 

 

最後に

今回はうつ病を例に所有の哲学を応用して見せたが、様々な学問に対して応用できると考えている。

 

 私は今回のこのレポートの著作権は放棄したいと考えている。アイデアの一つとして参考にしてもらえればと思う。ただし使うからには正しく理解してほしい。それなりの読解力が必要なので、読解力の無い学生が読みもしないでコピー&ペーストするのは勘弁してほしい、その時は指導教官は正しくしかってもらって構わない。

 

 かなり読みやすく文章を作ったつもりではあるので、幅広い人に読んでほしいと思うが、ネットに公開したのもあるのでぜひ学識のある人まで届いてほしいと思う。だが現在の日本の学問の状況は悲しいもので老人の学者たちは碌にインターネットさえ使えない状況ではないだろうか、そのような状況で新しい学問など生まれるはずがないのである。だからこの文章は今まさに学習している若い学生に読まれミームとしてレポートに紛れ込ませるという形で使われると面白いと思っている。革命の遺伝子である。

 

所有の哲学のゴールは平和、平等、自由である。その実現まで学問の中に確実に、そしてひっそりと潜んでいけることを願っている。

 

2018年12月14日 k西