ゲーセンに導かれた訳。そして燃えプロへ
2001年春。僕は慶應義塾大学へ入学。勉強で、僕は人生の勝利者になった。はずだった。だが実際には大学の中には僕より優秀な人は沢山いて、剣道のサークルに入っても僕よりも強い人が多かった。僕は大学の中で一気に敗北者になってしまった。
僕は大学に行く気にはなれず、向かった先はゲームセンター。勝利の矛先を勉強や武道ではなく、ゲームに向けたわけだ。バイト代をゲームにつぎ込みただ勝利のために戦い続けた。だが大学生活が軌道にのり、僕がサークルの代表をやり、ゼミに入るようになるころには自然とゲームセンターからは足が遠のいてしまった。そういうものなのだろう。
2007年。大学院を卒業した僕は。学習塾に就職。2年目に役職。3年目室長補佐。6年目には最年少の室長として社長表彰。
会社の中で勝利者だった僕にはゲームセンターは必要なかった。
2012年うつ病発症。休職、彼女もいなくなる、治療で貯金は無くなる。全てを失う。僕はまた敗北者になったんだ。
だから僕はまた、ゲームセンターに向かったんだ。勝利者になるために。勝利しなければ。僕には何もない。勝つしかない。強くなるしかないんだ。勝たなければ、生きている意味が無いんだ。
全ての人では無いと思うけど。ゲーセンで勝利を求める人は大小の敗北を味わい、そして何かを失っているんじゃないかと思う。学校や会社や社会で敗北を味わい、その代わりにゲームで勝利を得るためにゲーセンに来ているんだと思う。だからゲーセンのゲーマーの勝利には命が懸かっている。負ければ存在意義が揺らいでしまうんだから。e-Sportsのプロゲーマーなんて精々仕事がなくなるだけだ、その存在意義が揺らぐわけじゃない、だから違和感があるんだ。地獄で蜘蛛の糸をつかむような、そんな気持ちで僕らはゲームをやっている。
でも僕は甘かった、そんな世界なんだから僕なんかが簡単に勝利者になれるはずがない。数年の練習じゃ、勝てるわけがない。だから僕はどんどん追い込まれる。このままではまた僕は敗北者だ・・・。気付くと僕のうつの症状はひどくなって外に出られないほどになっていた。
当時パニック障害を起こしていた僕は電車にもろくに乗れなかったのだが、少しずつ外出のトレーニングをして外出できる距離を伸ばしていた。ふと高田馬場ゲーセンミカドにあった「燃えろ!!プロ野球ホームラン競争」のことを思い出して、思い切ってミカドまで外出してみることにした。なぜならまだ1回もカンスト(5連続ホームラン)ができてなかったからだ。
平日の昼にミカドについた僕はまず1000円を両替して「燃えプロ!!」の前に座る。お気に入りはSチームのカスシケだ。当然カンストできない。両替機と燃えプロの筐体の前を往復する。3回ほど往復したところで初めてのカンスト・・・。感動した。こんなに嬉しかったことは人生であまりなかった。敗北者だった僕が久々に勝利者になったんだ・・・。と思った。でもこの燃えプロそんなに甘くない。1回できたらもう1回できるだろうと思ってもう一度やると・・・できない。何往復しただろうか、できない。また何往復かすると、できる!うれしい!また往復する、できない・・・。
そんなこんなで1日に14000円ほどをぶち込んでその日は帰宅することにする。
いつしか僕は燃えプロにドはまりして全キャラカンストなどをやってみせるんだけど、ある時気付いたんです。このゲーム、勝利者になれない。絶対に打てるという保証が全然無いからだ。でも敗北者にもならない。打てないとも限らないからだ。これは僕がずっと勉強やスポーツやそして格ゲーで勝利ばかり目指していて、そして苦しんでうつ病になってしまったことからすると大発見だった。勝利者にもならないし、敗北者にもならない。そこにゲームの面白さがある。醍醐味がある。ゲームだけじゃない。人生だって勝利者にも敗北者にもならない生き方がある。そんなことを燃えプロは、ミカドは教えてくれた。
そこから人生は一変する、僕の考え方はがらりと変わり、急に体調は良くなり始める。生き方が変わったんだ。
もし、勝つことだけを信じて苦しんでいる人がいれば、この文章が一助となればと思います。