楽にいきるということ
人間というのは不思議なもので、なぜか自分自身を苦しめるように生きてしまうものです。そうしないと成長できなかったのかもしれませんね。
別に今、苦しくない、精神的に病んでいないのであれば、これから言うことは実践する必要は無いと思います。ただ、これから言うことについてどこか記憶の片隅に置いてもらえれば、将来辛くなった時に何かの助けになるかもしれません。
自分自身が楽にいきるコツは、今まで自分が努力したり、苦労したり、頑張ったり、そうやった結果、手に入れた自分の価値を、思い切って捨ててしまうことだと思います。
例えば、何もかも捨てて勉強ばかりしてきた、そうやってクラスで1番、成績優秀、大学も良いところに合格、周りからも褒められる、すごいと言われる。そうするとそれが自分の価値になります。少し間違えると、それだけが価値になります、ところがある日、そんな価値が通用しない世の中に出てしまったら・・・?
例えば、何もかも捨てて仕事ばかりしてきた、会社では評価され、昇進もし、お金も手に入り、それがすごいと言われる、そんな自分がとても偉いと感じる。でもその価値ってどこでも通用する価値ですか?
例えば、何もかも捨てて良き母としてすごしてきた、子どもたちを厳しく育て立派にし、周りからも良いお母さんだと言われ、旦那さんからも褒められる、料理がうまい、仕事がテキパキしている。そんな自分はすごく偉い、立派だと感じる。でもその価値はいつまで続くのですか?
例えば、何もかも捨てて一つのゲームをやりこんできた、大きな大会で勝ち、周りからもあいつはすごいと言われ、どんなテクニックもできる、俺は強い、だから偉いと感じる。でもその価値ってあなたが生きていくうえで必要なのですか?
スポーツ、仕事、生活、趣味、どれをとってもこういうことは沢山あります。人間は何かで他人に評価されたいと思い、そのために努力をし、そして結果をだし、そんな自分に価値を感じてきた。
そんな価値を感じるため、今も努力を続けている、そんな価値を失わないために苦しみ続ける。でもそんな価値はあるとき簡単に失われてしまいます。普遍的な人間の価値など存在しないのです。そんなものを大切にして生きていくのはしんどくないですか?
だからいっそのこと捨ててしまいましょう、他人の評価など自分の価値には関係がないし、たとえ自分に価値が無かったとしたって生きていて良いのです。頑張らない自分には価値なんてないですが、それでも楽しければ良いのです。
人間はかならず衰えます、老います、病みます。社会が突然変わってしまうこともあります、いままで通じていた自分の価値が突然通じなくなってしまう時がやってくるかもしれません。自分の価値が通用しない、自分が価値だと信じていたものが実はどうでもいいものだったと感じた時に人は心を病んでしまいます。
だから自分の価値を捨てよう、他人の評価を捨てよう、常識にとらわれるのをやめよう。
うつ病からの回復
作業療法士さんに聞きました。
「人間が生きている意味はあるのですか?」
作業療法士さんは答えました。
「ありません。」
僕のうつ病回復の第一歩になったアドバイスです。
なぜうつ病になったのか、どんだけ仕事が忙しかったのか、自殺未遂をしたこと。もちろんそういうことを書く機会は今後あるかもしれませんが、そんなことよりもこのブログを読んでくれている皆さんに知ってもらいたいのは、僕がどうやってうつ病から自らが回復したという実感を持てたのかということです。
ポイントは以下の通り。
- 何も無い自分に価値があると感じること。
- ただ生きる、ならば楽しい道を選ぶ。
- 他者の視線に作られた自己ではなく、論理的に正しい自分でいること。
- 自分の症状の特徴を知ること、うつには必ずクセがある。
- 寝たら治ると信じる。
①何もない自分に価値があると感じること。
色々なケースがあるとは思いますが、うつ病になりやすい人というのは、自分の価値を他者からの評価に頼っている人が多いと思います。他者からの評価というのは例えば学歴であったり、社会人としてまともに生活をしているとか、結婚しているとか、子どもを育てているとか、職場の中で評価されているとかそういうったことです。逆にこういったものを失うことに対して非常に恐怖を感じているケースが多いと思いますし、ちょっとしたことでそういう恐怖を感じてしまう予期不安を持っている人がうつ病になる人には多いと感じています。だから仕事の失敗が怖い、奥さんに嫌われるのが怖い、子どもに嫌われるのが怖い、お金がなくなるのが怖い・・・などなど、そういったことに非常に敏感です。逆にいえばそういう部分で非常に突出している人がなりやすいとも感じます。つまり非常に良い夫をしているとか、仕事ではものすごく高い評価を得ているとか、自分の子どもが非常に優秀であるとか、結構何をしても優秀で確実にそういった他者からの評価を得てきた人がうつ病になりやすいとも感じます、怠け者や甘えではないのです、むしろそういった他人からの評価に対して自分に厳しく、失敗はできないと感じている人が多いと思います。 そういったことから過労や責任を感じやすく疲労が常態的になりうつ病へとなってしまいます。
私が気付いたのは上の作業療法士さんの言葉もそうですが、そういった他人からの評価とか、他者からどう思われるかということは実はどうでもいいことだったんだということです、うつ病の人が考える生きることの意味って大抵は他人から見た自分の意味なんですね。無責任に聞こえるかもしれませんが、その通り、無責任です、無責任でいいんです、なぜ責任を負わなくてはならないのでしょうか?ただそういったことに私は30年以上気付くことができませんでした。
なぜ気付けたかというと、それはある日お宝鑑定団を見ていたとき、自分の大切にしてきた壺を鑑定に出した高齢の女性がいたのですが、鑑定の結果壺は数万円の価値しかありませんでした、その結果を受けて高齢の女性は「もういらない」と言い笑いをもらっていましたが、私はその時「はて?」と思ったんですね。自分が大切にしてきたものであるならば値段がいくらであろうと大切にすればいいはずです、でも人というのはなぜかそういった相対的な価値というものを強く求めるんだなと感じました。そして気付きました、これを自分に当てはめれば良いと。自分という存在は自分が長らく大切にしてきたものです、それが突然価値が無いと周りに言われたとしても自分にとっては大切なものです。だから自分に価値などいらないのです、何もないただの自分、それを大切にしていくこと、そこに気付けた瞬間に私はとても楽になりました。
②ただ生きる、ならば楽しい道を選ぶ。
上述したように、自分の価値、特に他人から見た時の評価というものは生きていく上で必要がありません。なので生きるということは何かの為ではなく、ただ生きるということなのです。自分探しというのは自分の価値を探す行為ですが、そんなことをする必要がありません。ここからは自由です、ただ生きれば良いので好きに生きればよい、自分に鞭打ちたいなら鞭打てば良いし、楽したいなら楽をすればよい、私が選んだ道は「楽しい」ということを追求することです、「楽しい」ならば苦労も喜んでします、今は仕事も「楽しい」ですし、「楽しい」と感じられる量だけやるように調整しています。
③他者の視線に作られた自己ではなく、論理的に正しい自分でいること。
しかし人間というのは他者との関係性を持たないで生きていくことというのはなかなかすることができません、それこそ引きこもるしかなくなってしまう。しかし他者と関係性を持つとどうしても他者の視線によって自己が形成されてしまう、他者からの評価を求めてしまいます、特にうつ病になったような人はそうやって今まで生きてきたのでそんなに簡単に考えを変えることは難しいですし、何もない、ただのからっぽの自分というものはものすごく不安なのです。
なので、世の中の物事を自分とは関係のない場所に置いて、すべて論理的に正しいかどうかで考えるようにしました、自分が褒められたり、評価されたりしてもあまり喜びませんし、怒られてもそれが論理的でない、単なる感情から生まれるものであれば信用しないという態度をとることにしました。つまり周りの感情に振り回されることなく、ただただ論理的に正しいかどうかを考えることにしました。他人から評価されるかどうかではなく、論理的に正しいことを優先するということです。そうすることで急に人間関係が楽になりました、今までおかしいということが言えなかった、他人にいい顔をしていたのが、論理的に正しくないことは正しくないと言えるようになったんですね。ただしこういう態度を嫌う人もいます、全てが正論に聞こえてしまって嫌だという人もいます、そういう人とは付き合いをやめました。いい顔をする必要はありません。
④自分の症状の特徴を知ること、うつには必ずクセがある。
ここからは私個人の話ですが、それでもどうしても調子が悪くなる時があります、長年うつと付き合っているというそういう時がなんとなくわかります。そういう病気のクセをつかんでおくことで余計な不安を感じる必要もありません。ただし私の症状はてんかんの症状に近く、ある時突然理由もなく不安や脳の異常興奮に襲われる時が数か月に1度あります、しかしそんなときもある、ということを知っておくことで余計な不安は取り除かれました。
⑤寝たら治ると信じる。
とはいえ、なかなかそううまくいかないこともあります、つい悪く考えたり、つい感情が先行したり、つい疲れすぎてしまったり。でもそんなときはおまじないの一言。
「寝たら治る」
そう思えば、明日はきっとまた健やかに生きていける。
まだまだ薬を飲んでいます、睡眠薬を飲まないと夜眠くなることもありません、ですが今の人生が一番楽しいと感じています。今後もまたうつ病回復のヒントになることをこのブログで時々書いていこうと思います。
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部活動やりすぎ?
今の仕事がら地方の公立の高校生に接する機会が非常に多いのですが。最近感じていることを。
部活動の問題点に関して教師側の視点や、子ども側の視点など、色々論じているブログなどは沢山あるのでそちらを読んでいただければと思います。私は実際に生徒に接して生徒が言っていることを伝えたいと思うのですが。
地方の進学校の公立高校に限った話かもしれませんが、活動日数、活動時間がものすごく週6日、7日、夜7時までとかはざらにあるんですね。ほとんどの生徒が高校を卒業して地元に就職してしまう高校の場合、部活をきちんとやってきたかどうかが就職の面接時に重要視され、勉強をきちんとやってきたかどうかというのがあまり評価されないということがあります。そのケースも問題ですが、今回はそのケースではなく、所謂地方の進学校のケースについて話をします。
進学校の場合ほぼ100%大学進学をするのですが、大学進学をする場合重要になるのはやはり学部学科選び、ついで学校選びだと思っています。本来であるならば自分自身が学習していきたい、生涯にわたって触れていたい分野について大学では学習するべきだと私は考えていますが、どうしても学校選び、つまり偏差値〇〇の学校へ行くことだけが目的化され、受験に必要だからその科目を勉強するというケースに陥りがちなのが非常に残念です。
子どもからすると部活動が多すぎて、そもそも何をやりたいのかについて考える時間が無いという返事が返ってくるケースが部活を一生懸命やっている子どもに多いという実感があります。逆に部活動に入っていない生徒は時間が余っていて、自ら好きなことを見つけている、例えば源氏物語を読んで古文に興味を持ったなどが実際に起きていることは知ってもらえるとなぁと思います。
せっかく今勉強している、せっかく大学に行くのであれば、何を学ぶことが楽しいのか、なにを生涯学び続けたいのかという視点で勉強をしてもらいたいというのが私の思いです、私自身は算数、数学が好きで今でも問題集とにらめっこをする日々です。仕事の役にはまったく立たないし、意味などはないかもしれませんが純粋に楽しい。そういう学問に出会わせたいと思っています。
そうなれば大人ももうちょっと勉強するかも?お金になる勉強だけをしても人生は楽しくならないと思うので。
ガルパン4DX
ガルパンはいいぞ。
というわけで今日はみなとみらいにガールズ&パンツァー4DX劇場版を見に行きましたー。ガルパン劇場版自体は見るのは7回目ですが、4DXは初体験!
思ったより揺れますね・・・最初酔うかと思いましたが、後半はなじんできましたよー、特に後半の「緊迫する戦況です!」が流れるところはもう一体となって見る感じで気持ちよかったですね。
今日も感じたのですが
という感想をいつも持っています。
「あんこう踊りだっ!!」と会長から言われて1ページにわたって同様する西住隊長とか見てみたいんですよね。戦車道を恐れて逃げ回るみほちゃんに迫る生徒会の面々とか、目がくりっとしたキャラに描かれてた1年生チームが最後虎を狩る目になったりとか、「こいつ・・・戦車の操縦の仕方が全く分かっていない・・・」とか、絶対面白いと思うので島本先生にぜひ同人誌出してもらいたいなぁと思ってます。
・・・と思ったけど熱い展開のガルパンは「リボンの武者」でもう出てましたね。僕は重戦車とか自走臼砲とかがバンバン出てきて力で押しつぶす戦車道より軽中戦車でテクニックを駆使して戦うみたいな戦車道が好きなので実はタンカスロンはものすごく好きなのです。10t以下という制限も面白いし、作戦の幅も広いので蘊蓄語るならタンカスロンですね!アニメ化しないかなぁ・・・。
好きな戦車は九八式軽戦車ケニです!
ガールズ&パンツァー リボンの武者 1 (MFコミックス フラッパーシリーズ)
- 作者: 野上武志,鈴木貴昭,ガールズ&パンツァー製作委員会
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仲間からの誘い
今、ゲームセンターというのは不思議な場所になっています。
週末になるとゲームのプレイヤー達が自然と集まり、同じゲームに熱中し、そして自然と仲間意識が生まれ・・・とお互いに本名も属性も知らない人たちが集まってくる場所になっています。
私がやっているのはヴァンパイアセイヴァーという19年前にアーケードで発売された格闘ゲームです。速いゲーム展開と独特の世界観やキャラクターたちに魅力があります。
ちょうど私が誕生日のときにそのヴァンパイアセイヴァーの仲間たちから、突然誕生日のプレゼントだ!とこのようなものをいただきました。
「魔 界 へ の 誘 い」
ヴァンパイアセイヴァーというゲームにはぴったりの酒です。
でもそれ以上にたかだかゲームセンターで知り合った仲なのに誕生日を祝ってもらえた、それが私にとっては何よりの喜びでした。
こんなことが今のゲームセンターにはあるんです。ネットの中だけで完結した関係も良いですが時にはこのようなオフの関係というのも、ものすごく温かみがあります。
ゲーセンにいるゲーマーは達は案外気さくでいつも新しい仲間を求めています。もしゲーセンのゲームに興味があるのであれば勇気をだして声をかけてみるということをしてもいいかもしれませんね。
ブログはじめました。
始めまして、k西と申します。
人生にはいくつもの転機があるといいますが、大きな転機を経て
この春から新しい生活を始めることになりました。
それをきっかけに今までのこと、今のこと、これからのことを
綴っていければ良いと思い、ブログ開設となりました。
タイトルにもあるように、主にはゲーセンに通ってみて今自分が
考えていること、そして闘病生活も5年目に入ったうつ病のこと、
元中学受験の講師だったという経験から今の教育環境について、
そして大好きな酒、これらについてぼつぼつとつぶやくように
書いていきたいと思っています。
もし読んでくれる人がいればうれしいなぁぐらいの気持ちで始めます。